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フランス国立セーブル製陶所工房作品詳細★
ブランド(原産国) 【セーブル・SEVRES】フランス 作品名(パターン) L'AMITIE AU COEUR OU MADAME DE POMPADOUR EN DEESSE DE L'AMITIE (友情の女神マダム ポンパドール) 原作制作年度 1755年 Etienne-Maurice FALCONET(エティエンヌ-モーリス ファルコネ) 人形制作年度 2007年 France TOCQUEVILL(フランス トックビール) 作品サイズ 高さ:28.5cm,幅:17.5cm,奥行き:9cm 特記事項 画像と実際の作品の色合い及び風合いは微妙に異なります。
参考上代(定価) オープンプライス 作品説明 クリエーター:France TOCQUEVILL(フランス トックビール) セーブル工房で創作活動をするビスキュイ作家、陶芸家。
ビスケット・白磁人形 【この作品は十八世紀の技法による軟質磁器 PT(ソフトペースト)によって制作されている。
】作品にはセーブル工房のロゴと成型年度が刻印され、作家のサインが彫り込まれている。
------------------------------------------------------------------------ ポンパドール夫人は数人の芸術家に友情の寓意的な形式での肖像の制作を依頼した。
Jean Baptiste PIGLLE(ジャン-バプティスト・ピガール)は1753年大理石像を制作。
続いて2作目は1754年に制作し「友情の愛の抱擁」と題された。
Etienne Maurice FALCONETも同じく1755年「友情」を制作した。
これら3点の作品はルイ15世王からポンパドール夫人へ贈られたELLEVUE(ベルビュ)城の庭園の木立の中に聖なる愛のテーマ像として設置された。
Charles E BUCKLEY(シャルル E バクレイ)はポンパドール夫人の言葉から引用し 「愛は瞬時の喜びであり、友情は四季の移り変わりのように長く継続の喜びである。
私はいつも、この友情を大きな人生の糧として味わう」といっている。
ポンパドール夫人は、BOUCHER(ブシェ)のデッサンを元に作られた版画「L'Offrande sincere(誠実なる捧げもの)」からインスピレーションを受け、自らの小像のビスキュイも注文した。
1643年、Cesare RIPA(セザール・リパ)は友情というものを質素な洋服を見にまとった女性のデッサンで表現した、それは友情というものの率直さを示しており、裸足の足は「友への奉仕の為の全ての不都合」に耐えていることを表している。
このビスキュイは商業的に大成功を収め、最初の19体は、FALCONET(ファルコネ)の後援者であり、ヴァンセンヌ工房がセーブル工房へ移動するきっかけともなったポンパドール夫人に贈られた。
「この作品はポンパドール夫人の人生のうちである特定な時期、つまりそれは彼女が国王に対し、絶対的権威を持つ友人になる為に彼の愛人をやめた時のものであり、この作品の意味するもの、使用された原典、また同様にして選ばれた図像学〜これはおそらくアーティストと客の共同だと思われる〜もかなり研究されてきた。
この作品は、ポンパドール夫人が知人の間でも限られた仲間に贈るために注文したというのは明らかであり、ポンパドール夫人が亡くなった時にまだ全ての作品が配り終えられていなかったというのは、ポンパドール夫人があらかじめ送り先リストを作成していなかったことを示していると思われる。
また同様におそらく、型を使い切るのに十分な数である、20体という作品数を提案したのは工房と考えられる。
工房にはこの作品のモデルも型も何も残っていない。
ポンパドール夫人は時に、それなりに高価な台座を注文し〜Duvaux(デュヴォ)にブロンズ製のもの、セーブル工房に磁器製のものなど〜この作品を仕上げさせた。
このモデルは、セーブル工房とFALCONET(ファルコネ)の最初の協力作品となった。
彫刻家はすでにポンパドール夫人のために何度も仕事をしており、彼女からすでに高く評価されていた。
そしてこの注文が成功したことにより、工房が新しい彫刻のモデルを提案したり作成したりするため、またこの分野の作業で必要不可欠な、作風の再生や一貫性を植えつけるためにアーティストを雇う必要性が出た時、ポンパドール夫人が彼の名を提案することは不可能ではなくなった。
ビスキュイというポンパドール夫人の選択は、依然として注目すべきものであった。
注文の日に人々の間に出回るビスキュイ作品の数はまだとても少ないものであった。
というのも1754年から1755年の間に作られた25体の作品は1755年12月の最終配達まで秘密に保管されていたからだ。
この、陶磁器と美学の分野において真の革命となるこの新しい素材を受け容れることにより、ポンパドール夫人は全くのオリジナルものの試みを奨励したかったのかもしれない。
おそらく彼女の選択は、より「厳格な」スタイルの方へと移りながら、世の中の好みの全体の変化に賛成していることを証明しており、それはまた小さな焼き粘土の現代的な成功も保証している。
彼女の肖像を寓話的な全身彫刻で作成させるという考えさえも、副次的に位置するものであり、じきに多大な成功、とりわけ様々な素材によるメダイヨンや胸像により、成功を約束された一つのジャンルの変遷の中で比較的早いものであると感じられる。
」 参考書目 「セーブル工房及び喜びの芸術にあるファルコネ」1757-1766、2001年11月6日から2002年2月4日までセーブルの国立陶磁器美術館にて行われた展示会のカタログより、RMN出版、パリ、2001年、P114 プレオ・タマラ著 「ポンパドール夫人と芸術」から「モードの革命:ポンパドール夫人と陶磁器彫刻」、グザヴィエ・サルモン監修、2002年2月14日から5月19日までヴェルサイユ宮殿とトリアノン宮殿の国立美術館で行われた展示会カタログより、RMN出版、ガン、2002年------------------------------------------------------------------------ セーブル工房の「ビスケット」という呼び方は、1751年以来の模様も釉薬もないセーブル工房の陶磁器彫刻のことを指す。
この呼び名は白い大理石の無垢な冷ややかさを喚起させると同時に、マイセンの彩色された彫刻作品と区別する為に積極的に取り入れられた。
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Pate tendre(ou P.T)☆
ソフトペースト(軟質磁器P.T):セラミック素材の呼称であり、半透明でカオリンの発見以前のヨーロッパにおいて開発された、硬質磁器のベースとなる素材。
今日、PTは18世紀の素材のバリエーションのひとつであり、1980年にセーブル工房で再開発され、1260℃で焼かれたものが作られた。
「ソフトペースト(軟質磁器)のパテは20ほどの要素から構成されている、まずフリットと本体である。
初めのものは鉱物(岩の)の結晶、ガベルの塩、岩石の明礬、アリカントのソーダ、モンマルトルの採石場の高熱で焼かれた石膏、そしてフォンテーヌブローの砂で構成されている。
全ての素材は焼いてから使用される」 (セーブル陶磁器博物館におけるファルコネ展の図録より抜粋) ★
Etienne-Maurice FALCONET(エティエンヌ モーリス ファルコネ)★
(1716年12月1日に生れ、 1791年1月24日にパリにて歿) 職人の家系に生れ、彫刻は伯父の大理石、石工師のNicolas GUILLAUMEに学んだ。
その後1730年頃から木や粘土の彫刻を始め 1734年に Jean-Baptiste II LEMOYNE (1704-1778) のアトリエに入る。
同氏はAnne Suzanne MOULINと1739年に結婚し4人の子供を持った。
その子供の一人が将来、図案家、彫刻家、画家になる Pierre-Étienneである。
1745年 Etienne-Maurice F ALCONETは芸術大学に入学が許可される。
1754年Milon de Crotone賞を授与される。
その賞品は現在ルーブル美術館に保管されている。
その翌年、同芸術大学の助教授になり1761年に教授、1783年に副学長となる。
【フランス国立セーブル製陶所工房作品】
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